これまでも、これからもベストアンサーを。
応える力は、チャレンジスピリットから生まれます。
ニーズがあるなら挑戦してみよう。私たちに受け継がれているチャレンジスピリット、
その根底にはどのような思いがあるのか。創業からともに歩む林正人、そして現在は東海技研工業を率いる安江宏が語り合いました。
「 私たちにしかできないことをやろう。歩みは、挑戦することからはじまりました。 」
林
1979年、恵美製作所は有限会社に改組し、企業として本格的な歩みをスタートしました。その頃のメイン事業は産業用ロボットの受注生産でした。企業とは言え、わずか5名という限られた人数ですべてをこなす多忙な日々が続きました。
安江
80年代に入って、私たちは大きな転機を迎えました。
林
日々の業務を行いながら、「どこでもできることを続けるのではなく、私たちしかできないことを」という思いが、みんなの心に芽生えてきました。そこで、当時の企業規模から考えると非常に大きな投資であったレーザー加工機を導入し、1981年に精密部品試作加工に取り組んだのです。
安江
「ニーズがあるならやってみよう」という、いまの私たちに受け継がれているチャレンジスピリットは、
「 ニーズを先取りし、お客様の思いに応えることが、成長するためのエンジンでした。 」
安江
製品精度の高さ、短納期への対応、そしてコストというお客様からのニーズは、事業をスタートさせた当時も変わらずあったのですか。
林
当時も全く同じ状況です。それら一つ一つにしっかりと応えた結果、信頼を築き、次の受注、さらにはお客様の開拓へとつながっていきました。
安江
1986年に大手自動車部品メーカーと取引が始まったのは、まさにそうした応える力が功を奏した結果です。設計から製品加工までを一人で行う生産体制を整えたことで、精度の向上と細かな要望への対応を可能にしました。
林
早い時期から、生産管理システムを取り入れたのも効果的でした。これは負荷の集中を防ぎながら効率化も推し進め、変化に追従できるシステムだったのですから。
「 大型加工品の量産、そして農業のサポート。
マーケットインの発想が、挑戦につながりました。」
安江
東海技研工業が取り組んでいる大型板金加工は、恵美製作所が試作品加工で培った技術がルーツになっています。また、大きな特長として一品一様、変種変量のものづくりがあります。東海技研工業が設立された1988年当時、これらを実現するためのノウハウを大変な努力の末に獲得しました。
林
大手家電メーカーの電設関連部門から受注したのは、配電盤、分電盤を収納する大型キャビネットの製造でした。配電盤や分電盤の設置条件が変わればそれぞれの仕様が変わるため、キャビネットはオーダーメイドの製品を量産するという未知の視点、発想が求められました。
安江
それに対応するために構築したのが、設計から塗装までを一貫して生産する体制ですね。これによってニーズにきめ細かく応え、小回りの利くものづくりを展開することが可能になりました。
林
オンラインでつながった受注システムも意味がありました。
安江
発注業務が省力化できるだけでなく、リードタイムも短縮したとお客様から好評を博しました。
林
続いて、企業だけではなく地域の人々の思いにも応えようと1999年にはハッソーを設立しました。代表的な事業が稲作農作業の請負で、高齢化が課題の農家の負担軽減とともに、農業の継続というニーズにも応えています。
安江
恵美製作所、東海技研工業、ハッソーとも、ニーズがあれば挑戦するという取り組みを続けています。このチャレンジスピリットは、私たちも次世代も変わることなく必ず受け継いでいきます。